妄想日本史 第3回「大和朝廷?ヤマト王権?天皇との関係」

妄想日本史 第3回「大和朝廷?ヤマト王権?天皇との関係」

まずはじめに・・・
当ブログでは、歴史にハマった管理人が勝手に「実は〇〇だったんじゃないか?」というif…を勝手に書き殴っているだけですのであくまでも正史とは違います。どうか誤解のないよう宜しくお願いします。

ヤマト王権から見た本当の歴史

どうして呼称が変わったのか?

大和政権、大和朝廷、ヤマト王権・・・何でもいいけど統一してくれよ!と思う人が多いであろう、この混沌の時代。もっと言えば大和時代というのも昨今古墳時代と呼ばれ始めている。

結論から言うと全部ほぼ同じと思ってOK

では何故呼称を大和朝廷からヤマト王権に変えたかというと・・・まずは朝廷とは何か?を考えれば答えが見えてくる。というか、実は字の通りなのだ。

  • 「朝」・・・草原に日が昇る様を表す。日の出とともに臣下が天子に拝謁し執政していたことから、天子の政務そのものを指すようになった。
  • 「廷」・・・は大きな壇上に人が立つ様を表し、これが臣下が天子に拝謁する別格の場所という意味になった。「广」は建物を意味し、従って「庭」は造営された「廷」という意味になる。

つまり、この朝廷というのは本来、天皇(君主)が臣下を伴って行う政治という意味。

え?でも日本って天皇がTOPだから間違ってないんじゃないの?

第1回でも書いたが確かに宮内庁のホームページには天皇の系譜があり、間違いなく初代天皇である神武天皇は紀元前660~585年に生きたと書かれているわけで、脈々と天皇は存在していたはず。

ただ「なるほど、神武天皇は127年も生きたんだな」と簡単には納得できないでしょ?というか真実とは思えないでしょ?本当の歴史を研究し調べている歴史学者からしたら余計納得できるものではないよね。で、その歴史学者の研究の結果、この時代は天皇が政治を行う形・朝廷があったとは言えないから呼称を変えたって事になる。事実、埼玉県の稲荷山古墳から見つかった鉄剣には獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)と記されていて、天皇とは書いてないんだ。結果、現在の中学校の検定教科書ではこの時代に朝廷があったという誤解を招かないように呼称を「ヤマト王権(政権)」に統一することが多くなってきたそうな。

いや、ワカタケル大王って誰よ?

これがまた話のちゃぶ台がひっくり返るんだけど、基本的にはワカタケル大王=雄略天皇ではないかというのが通説となっている。そして雄略天皇とはヤマト王権を飛躍的に拡大させ、強力な専制君主として君臨したとされている。って事はやっぱりヤマト王権をしきっていたのは天皇となるわけだけど、それだと今度は逆に大和朝廷→ヤマト王権に呼称を変えていった理由がおかしくなるよね。

だって文部科学大臣が審査して合格したのが検定教科書であり、その大半は朝廷を否定するヤマト”王”権としているわけだから。というわけで、ここが歴史の真実につながる入口になっていると僕は思う。

雄略天皇ってどんな人?

この雄略天皇(ワカタケル大王)がまた面白い人で、大悪天皇・有徳天皇という2つの真逆の異名を持ち合わせている。

ちなみに宋書倭国伝に出てくる倭の五王の一人・武がこのお方とみられていて、当時の中国に「俺が日本と朝鮮半島治めてっからよろしくな!」と宣言し、その後に大将軍として認められたみたい。これは邪馬台国卑弥呼などもそうだけど、昔は中国に認めてもらってその威光で日本で権力を振るうってのが常套手段ではあったから変な話ではないし、事実その威光でよりヤマト王権を大きくしていったんだろう。

それで何が歴史の真実につながるのかというと、この雄略天皇が古事記・日本書紀には比較的印象が悪く書かれている事にある。

第2回でも少し触れたように古事記と日本書紀は革命を起こした人間が作った歴史書であり、2019年の5月より令和になった現在の日本・・・この元号がスタートしたのはまさしくこの革命・大化の改新大化からである。つまり現代の日本がトレースしている歴史とは雄略天皇が治めていたヤマト王権の後から作られたものだという事。

もしかして現代の日本国からしたらヤマト王権より前の時代については触れてほしくないんじゃないだろうか?中国に朝貢して日本でやりたい放題だった雄略天皇がこの時代をしきっていたとなるとまずいから大和朝廷→ヤマト王権と呼称を変化していった・・・と僕は思う。

では、これは歴史を捻じ曲げている事になると思う?

中国に頭を下げてきた古代の王たち・・・それは本当に日本の王だったと言えるんだろうか?もし現代の日本政府が定期的に中国にペコペコして貢物をしていたら皆さんはどう思う?独立国家と思える?

僕はそんな日本いやなんだけど。

結論

今回はここまで!本記事をまとめると

  • 大和朝廷でもヤマト王権でも呼称はなんでもいい
  • 雄略天皇は面白い人(興味ある人は是非調べてみて!逸話たくさんあるよ!)
  • 大化の改新までは謎だらけ

こんな感じ。正直こうして書いていても「真実はこれに違いない!」と思っている反面、「誰か真実を教えてくれー!」とも思っているよ。いつかこのロマンしかない古代史の真実を知る事ができる日がくるといいな。というのが本音かも・・・w

邪馬台国~ヤマト王権という、謎多きこの時代は色々な人が色々な諸説を唱えるので、何が真実かわかりにくいし混乱しやすいよね。だからこそ妄想し甲斐があって面白いんだけど、第1回から読んでもらった人には薄々気付いてもらえたかもしれないが、僕的に日本の歴史とは大化の改新がかなり重要なターニングポイントであり、ここに真実があると見てる。

ちなみに大化の改新で滅ぼされた蘇我家がこの邪馬台国~ヤマト王権という空白の時代を記していたかもしれない天皇記」「国記」という歴史書を持ってたよ。燃やされてなくなっちゃったんだけど・・・何故燃やされたんだろうね。皆さんはどう思う?

歴史は面白いなあ!

第2回「邪馬台国と卑弥呼」へ

第4回「聖徳太子と蘇我馬子の本性」へ