妄想日本史 第4回「聖徳太子と蘇我馬子の本性」

妄想日本史 第4回「聖徳太子と蘇我馬子の本性」

まずはじめに・・・
当ブログでは、歴史にハマった管理人が勝手に「実は〇〇だったんじゃないか?」というif…を勝手に書き殴っているだけですのであくまでも正史とは違います。どうか誤解のないよう宜しくお願いします。

聖徳太子と蘇我家からみる日本史の闇

聖徳太子(厩戸皇子)が作った日本の礎

日本の重要なターニングポイントとなる大化の改新の少し前のお話。

日本人の誰もが知っている聖徳太子a.k.a.厩戸皇子・・・実は聖徳太子というのは彼の死後に呼ばれた名前なので、最近の教科書では厩戸皇子と表記される事が増えてきたらしい。本記事では混乱を避ける為に印象の強い聖徳太子で統一するね。

10人の話を同時に聞いて受け答えたという逸話を筆頭に、遣隋使の派遣、冠位十二階十七条憲法・・・歴史に全然興味がなくてもなんとなく聞いたことがある人も多いのでは?ちなみに日本のお札に7回もなっている人なんだ。

聖徳太子

で、何した人なんだよ?と。

結論から言うと日本で初めて法治国家を”作ろう”とした人。何故”作った”人ではないのか?これには当時の彼にかなり親密であった蘇我馬子が関わってくる。

まず聖徳太子が活躍する前の時代、つまり第3回にも書いたヤマト王権という大王(おおきみ)と呼ばれた人が地方豪族などに忖度しながらやりくりしていた謎だらけの時代・・・この時はが力を持っていたんだ。ざっくり言えば家柄が超大事ってわけだね。で、この家柄絶対時代に有名なのが蘇我氏物部氏、かなり対立した二つの一族。その蘇我氏と天皇家の間に生まれたのが、聖徳太子だ。

当時の物部氏のTOP・物部守屋は天皇家と癒着して権力を振るう蘇我氏がウザくて仕方ない、そこでクーデターを起こそうとする。それが丁未の乱(ていびのらん)、物部守屋vs蘇我馬子の戦だね。聖徳太子はなんと13歳でこの戦いに参加している。

ちなみに蘇我氏と物部氏が何故対立していたかというと、簡単に言えば宗教だ。仏教を広めたい蘇我氏と聖徳太子、そしてそれに反発した物部氏と覚えておけばOK。で、勝った蘇我氏は権力をさらに拡大、聖徳太子も19歳の時に日本初の女性天皇と言われている推古天皇の摂政となり、蘇我馬子+聖徳太子で改革を進めていった。

まずは600年、小野妹子に「ちょっと隋(中国)最近すごいから行って色々学んで来い」と言って派遣、そこから学んだ事で603年に冠位十二階、604年に十七条憲法と無双を続ける。

冠位十二階
今までの家柄に権力があり政治を行っていた体制ではなく、能力がある者にチャンスを与える実力主義の為の役職システム
十七条憲法
政治の基本は礼儀やぞ!とか、人それぞれ能力違うんだから尊重しあって仕事するんやぞ!とか道徳的な事が書いてあるやつ

超わかりやすくまとめるとこんな感じ。教科書には聖徳太子さんがこんなの制定したよー!で、次にね~と、まるで箇条書きかのように簡単に書いてるけど、今でも模範とされるくらい大切な事で、律令国家の根幹なんだ。でもさ・・・違和感を感じない?

だってこれ、蘇我氏のやり方を全否定してるよね。

でも、この2つは蘇我馬子も一緒に作ったんだけど・・・。

蘇我馬子と聖徳太子が広めたかった事とは?

2人が蘇我氏を否定するかのような冠位十二階十七条憲法を制定したのは何故なのか?

ちなみに制定はしたけど、この当時はまだ家柄パワーが強くてあまり機能はしてないんだ。ただ後々の日本において土台となったことは間違いないからすごいんだけどね。

で、この2つの制定の根底にあった考え方こそ仏教。蘇我馬子と聖徳太子はこの素晴らしい教えである仏教を広めたくて精を出していたわけだ。でもそうなると、余計に蘇我馬子のビジネスモデルを全否定した冠位十二階と十七条憲法に違和感を感じない?というよりも・・・むしろ、仏教の素晴らしい教えを広めようとした蘇我馬子が家柄パワーで圧政をしていた事の方が違和感を感じない?

そもそも、蘇我馬子を筆頭に蘇我氏というのは日本でかなりイメージが悪いよね。天皇家に癒着し実質天皇家の乗っ取りのような形で政治を行い、権力を牛耳っていたってんだからそりゃそうだ。これらの事は全て日本最古の歴史書、日本書紀にちゃんと書いてある。

ここで第2回でも書いたけど、もう1度日本書紀を確認しておこう。

日本書紀とは
日本で初めて国家が編纂した歴史書であり、奈良時代に天武天皇の命で681年から川島皇子らによって編纂され、720年に天武天皇の息子・舎人親王らが完成させたもの。天武天皇とは天智天皇の弟、天智天皇とは中大兄皇子の事。中大兄皇子とは中臣鎌足と共に大化の改新を行った人。大化の改新とは645年(ムシゴロシ)に起きた乙巳の変(いっしのへん)から始まった蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏を滅ぼした政変の事。

そうなんだ、蘇我氏を滅ぼした人達が作った歴史書にちゃんと蘇我馬子はクズ!って書いてあるんだ。聖徳太子と一緒に仏教の素晴らしい教えを広めようとしていた蘇我馬子、本当はどんな人だったんだろうね。

果たして、歴史を隠蔽したのは誰だと思う?

結論

大化の改新以降、蘇我馬子と聖徳太子が作ったとされる冠位十二階、十七条憲法を基に日本は律令国家として進化を遂げていく。

元号が令和となった今の日本、このスタートである大化・・・日本という国の始まりは実質ここからと言ってもいい気はするけど、その前にもちゃんと蘇我氏や聖徳太子、もっと遡ればヤマト王権や卑弥呼の邪馬台国など、確かにこの地には国を作る為に尽力したヒーローたちがいたんだ。

日本書紀含め、歴史書というのは時代の勝者が綴るものであり、そこに真実が書いてあるとは言えない。やはりどうしても敗者の実績は闇に隠されてしまうものだけど、それを簡単に悪として決めつけちゃいけない。僕からすれば蘇我馬子も聖徳太子も中臣鎌足も中大兄皇子も、全員会って話してみたい偉人たちだよ。

というわけで、今回のまとめ!

  • 昔から宗教は対立の火種になっていた
  • 聖徳太子は日本の礎を作ろうとした
  • 蘇我氏が悪い人達かどうかは見る視点によって変わる

こんな感じ?

ちなみに蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足、彼は日本古来の考え方・神道の家系で祖先に同じ名前の人がいるんだよね。その同じ名前の人は蘇我氏に滅ぼされた物部氏と一緒に仏教の布教に反対した人なんだってさ。

日本の国教って別に決まってないし神道は宗教ではないらしいけど、日本に元々あるのが神道外国からきたのが仏教という事は知ってるよね。

もう1度聞くけど、本当に歴史を隠蔽したのは誰だと思う?

やっぱりどうして歴史は面白いなあ!

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