妄想日本史 第2回「邪馬台国と卑弥呼」

妄想日本史 第1回「邪馬台国と卑弥呼」

まずはじめに・・・
当ブログでは、歴史にハマった管理人が勝手に「実は〇〇だったんじゃないか?」というif…を勝手に書き殴っているだけですので正史とは違います。どうか誤解のないよう宜しくお願いします。

邪馬台国と卑弥呼は実在したのか?

倭国と邪馬台国は別物なの?ヤマト王権は?

まず倭国とは日本列島全体を指し、1世紀から3世紀にかけては100あまりの小国が存在していたと中国の歴史書に書いてあり、邪馬台国はそのうち30国ほどを従えた大国とされていて、卑弥呼はこの邪馬台国の女王と言われている。やがて5世紀になるとヤマト王権が倭国の統一に動きだし、飛鳥時代に国号を「日本」と称するようになった。

これが正史となるわけだけど、この邪馬台国、卑弥呼というワードは中国の魏志倭人伝という書物にのみ出てきており、日本の書物には一切残ってない。加えて邪馬台国~ヤマト王権成立までの間が空白の150年と言われており、現代になっても何があったのかほとんどわからないという・・・

もうロマンしかない時代

ちなみに、卑弥呼や邪馬台国には「」と「」というよくない意味の言葉が入っているけど別に自虐的な意味があるわけじゃなくて、当時の中国人が勝手に当て字をハメただけなんだよね。古代中国には帝のいる都から離れれば離れる程、文明や文化、思想、人種のレベルが低くなるという考え方・いわゆる中華思想なるものがあったので、東方の島国の王様とか言われても「倭国?雑魚に似合う文字でもあてがっとけ」ってなものだったのでしょう。

「倭」というのも「」と中国が呼称していた読み方であり、日本では「やまと」と読まれている文字なわけで、「日本」だって「やまと」と読まれる場合がある。加えて卑弥呼のあと邪馬台国を継いだ人がいたんだけど、その人の名が台与といい、読み方は諸説あるが基本的に「とよ」と言われている。ここから考えると邪馬台国は「やまとこく」とも読めるよね。

  • 倭国(やまとこく)
  • 邪馬台国(やまとこく)
  • ヤマト王権
  • 日本(やまと)

まとめるとこんな感じだけど、果たして本当に全て違う国家なんだろうか。僕には一つの国家が一貫して現代まで続いてるようにしか思えないんだけども。

では、その上で邪馬台国の女王であった卑弥呼とは誰だったのか?

卑弥呼

卑弥呼ってどんな人だったのか?

まず卑弥呼という名称だけど「姫御子(ひめみこ)」「日の巫女(ひのみこ)」「日向の御子(ひなたのみこ)」など諸説あるんだけど、僕は日の巫女(ひのみこ)派、意味は太陽に仕える巫女・・・つまり、卑弥呼とは本名ではなく役職名というわけだ。

  • 鬼道と言われる呪術的な何かを使っていた
  • 銅鏡を掲げ太陽の光を使って占いをしていた
  • 神様の声が聞こえるシャーマン

こう書くと、もはや胡散臭さが漂う卑弥呼様だが、実は呪術などを使い国家の未来を占う女性シャーマンというのは日本だけではなく、世界各地で存在が確認されている。卑弥呼が女王になる前は洪水などの自然災害により飢餓が発生し、人が人を食べる・・・つまりカニバリズムまでもが起きていたと中国の書物に残っている。これは木の年輪からも確かに約30~50年間こうした異常気象が続いていた事がわかっているので信ぴょう性は高いんじゃないかな。

そんな中で卑弥呼が女王に即位したら異常気象も収まり平和な日々に戻ったとされているけど、多分こうした女性シャーマンは他にもいて、予言が外れた人は次々に殺されていたんじゃないかと思う。つまり逆に気象が戻ったタイミングでシャーマンだったのが卑弥呼だったってわけだ。それにしても、さすがに次々と殺されたっていうのは・・・と思うかもしれないけど、この時代の航海にはこうしたシャーマンが必ず1人同行していて無事航海が成功した際は宝物などが貰え、失敗した際には殺されていたらしい。じゃあ卑弥呼もただの巫女さんだったのか?と言われたら、それは違う。これをひも解くヒントは邪馬台国から数百年後の奈良時代に編纂された日本書紀にある。

「日本書紀」という歴史書の闇

日本書紀とは日本で初めて国家が編纂した歴史書であり、奈良時代に天武天皇の命で681年から川島皇子らによって編纂され、720年に天武天皇の息子・舎人親王らが完成させたもの。天武天皇とは天智天皇の弟、天智天皇とは中大兄皇子の事。中大兄皇子とは中臣鎌足と共に大化の改新を行った人。大化の改新とは645年(ムシゴロシ)に起きた乙巳の変(いっしのへん)から始まった蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏を滅ぼした政変の事。

つまり、革命を起こした人間が作った歴史書が日本書紀なのだ。

ちなみに同時期に編纂された古事記とは民に向けて作られたもので、日本書紀は対外国向けに作られたもの。内容はざっくり言えば神話の伝説や天皇のお話なんだけど、その日本書紀には卑弥呼や邪馬台国というワードは一切出てこないのに、神功皇后という第14代天皇である仲哀天皇の奥様が卑弥呼なんじゃないか?と匂わせて記述がされているんだ。でもね、日本書紀には中国の史書から数多の引用がされているわけで編纂した人達は卑弥呼も邪馬台国も知っていたし、読み解けばある事にぶち当たっていたはずなんだ。それは卑弥呼=日の巫女(ひのみこ)=太陽に仕える巫女・・・

卑弥呼=天照大神

そう、神様。第1回でも触れた日本を作ったとされる神様イザナギイザナミのお子さんなんだ。

天照大神→天忍穂耳尊→瓊瓊杵尊→火折尊→鸕鶿草葺不合尊→神武天皇(初代天皇)

上は天照大神から初代天皇である神武天皇までの系譜ね。で、神武天皇が即位したのが紀元前660年2月11日なのね。でも邪馬台国やら卑弥呼の話は紀元後240年あたりの話だから恐ろしいほど矛盾が生じるよね。それに卑弥呼は魏に使者を送って曹操の息子である魏の皇帝・曹叡から親魏倭王という称号を与えられているから、天照大神が中国にひざまずいたという事になってしまうんだ。だから逆算して第14代天皇である仲哀天皇の奥様の神功皇后を卑弥呼と匂わす記述にする事で矛盾を解消したんじゃないかな。

どうだろう?卑弥呼=天照大神説を信じられそうもない?じゃあ逆にイザナギやイザナミ、天照大神などが本当に神様で、その神の子孫である初期天皇たちが皆100歳超えの長寿だったのは信じられるって事?

どうだろうね。真実はどちらにしても我が国・日本を作ってくれた人達は確かにいて、彼らは神様と呼ばれるのに相応しいって事だけは間違いないと僕は思っているよ。

結論

この時代については考古学者や歴史学者はもちろん、ただの歴史好きから都市伝説勢まであらゆる人達が諸説を唱えているし、真実はわからない。もちろん本記事だって細かい部分に差異や矛盾が発生するだろうから納得いかない人もいるだろうけど、そもそも歴史とは勝者が勝者の為に勝利のストーリーを描くもの。そりゃ嘘も隠蔽も数多にあるものだ。こうしたブラックボックスを妄想すると都市伝説と言われる事が多々あるけど、嘘や隠蔽の裏側を考えるという事はつまり、真実に近い何かを見る事になるのでは?と僕は思う。

  • 卑弥呼と邪馬台国は存在していた
  • 卑弥呼=天照大神である
  • やっぱり神様的な何かはいた

一応、今回の記事をまとめると・・・こんな感じ。

ちなみに空白の150年はちゃんと邪馬台国が存続していきヤマト王権に進化していったんだと僕は思っているよ。空白になっている理由は中国で三国時代が終わり、という国が成立して交流が途絶えちゃったんじゃないかな。晋は265年~420年にあった中国の王朝ね。一応266年に邪馬台国の台与が西晋に使者を送ってるんだけど、次に使者が送られたのは413年だから晋の対応が気にくわなかったのかもね。

それと卑弥呼=天照大神説に興味を持った人は天照大神の岩戸隠れ伝説というのを調べてみるといいよ。歴史というよりは神話だからあえてここでは記述しないけど、僕はこの岩戸隠れ伝説こそが卑弥呼失脚の真相だと思ってる。そして台与とは本当に卑弥呼のあとを継いだ人なのか?卑弥呼と同一人物という説まであるんだよ。本当謎だらけ・・・

この弥生時代後期は宮内庁が当時の古墳の発掘を許可してくれないので、余計真実がわからないんだ。でもそのおかげで邪馬台国と卑弥呼の真実は歴史好きにとって最高のブラックボックスの一つになっている。

どうだろう?ロマンしかない時代でしょう?

歴史は面白いなあ!

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